「ダーティ工藤のSM対談」毎回SM関係の人たちに対談を仕掛けていく企画です。

--ダーティ工藤のSM対談ということで。
勝手にボクが作ったんですけど…。
第1回目が志木あかねちゃんということで、今回は第2回目です。
--「まるかつ監督」ですよね。
監督)はい。
--「まるかつ監督」という名前でずっとやってきてるんですね?
監督)はい。ずっとやってます Twitter

ー ずっとシネマジックでしたっけ。
M 途中、ちょっと抜けた時期があったんですが、もう20年くらいいますね。
最初は広報担当で採用され営業部に在籍していました。製作志望だったんですけど、当時は製作部がいっぱいだったんで。その頃、『およう』(02・関本郁夫)とか映画を撮っていた頃で。それで広報やる人がいないということで、じゃあ広報なら、ということで入ったのが最初ですね。
ー 広報から始めて製作へ移るきっかけというのは?
M ずっと監督志望だったんですけど、当時はなかなか社員で監督というのは難しい状況だったんです。当時のシネマジックは外注監督が主だったので。で、その頃DVDが丁度売れ始めたんで、もっと売るためには”特典映像”を付けなくちゃ売れない、という仮説を営業部の僕が勝手に立てたんです。それで今までのシネマジックのSMドラマの撮影の中で、特典映像なんていうものをどうやって撮っていいか分らない、ということになり、言い出しっぺの僕が挙手して撮ることになったんです。僕にとっては社員監督不毛のシネマジックの中で、監督がやれるって事はまたとないチャンスで燃えましたね。最初は荊子(いばらこ)さんを使って、緊縛イメージビデオを撮ったんです。その当時、買ったベティ・ペイジの映像に触発されて。で、実際は僕の力量不足等で、グダグダだったんですけど、ハードなSMなんかいっさいないのに、それが超売れたんです!ほんとにソフトな内容だったんですけど。
ー そうなんだ。
M そうなんです!それで実績作ったらこっちのものって感じで、2本目、3本目と撮るようになったんです。当時は第一製作部と第二製作部というのがあったんです。第一は故横畠社長傘下の10人くらいいるちゃんとしたSMドラマを撮るところで、僕がいた第二はちょっとアウトローな亜流のところだったんですよ。その頃、流通がアウトビジョンに移行してセル主体の世の中になったのも、僕が監督やるのに追い風になりましたね。セル市場はレンタル市場のお客様より欲求がダイレクトですからね。レンタルと違って見たいものを撮らない限り売れないですから、僕にセル市場はむいていました。
ー 当時は社員は何人くらいいたんだろうね。
M 当時は全部で30人くらいいたんじゃないですかね。
ー 横畠社長時代は、社長が映画思考だったから、監督も映画から流れて来た人が多かったね。
M そうですね、石川欣さんとか秋山豊さんとか、あと井口昇さんとかね。一時、TOHJIROさんとかも居ましたからね。
ー 映画を別にしてもSMを志した人は、一通りシネマジックを通過しなければいけないという感じはあったんじゃないの。
M ああ、そうかもしれないですね。
ー それで話を戻すと、今では定番化している特典映像というのは、まるかつくんが始めたということなんだね。
M そうです。その当時は撮影経費にも少し余裕があった時代なので、ビデオ撮影とスチール撮影が別日だったんです。それで本編撮影の時に、ストーリーと関係のないものは時間的余裕もなく撮れないとなり、スチール撮影の時に僕が特典映像を撮る事になったんです。特典映像を撮ってもいいと言うことで、スチール日は本編とは違う縄師さんを僕が指名することが出来ました。VTRとは違う縄師さんと言うことで影響も受けました。ちなみに、一作目の『女主人のフェティッシュな責め』と言う作品は、その特典映像を集めて一本の作品としてリリースしました。
ー まるかつくんは縛りも自分でやってるけど、縛りは自己流で覚えたの。
M そうです。ですが、初期は縛りに自信がなかったので縄師さんにお願いしてました。縛りが出来るヘアメイクさんに縛ってもらったこともありましたねw。今は超有名になっちゃったんですけど魁(かい)さんとか、神浦匠さんとかにもやっていただきました。僕が魁さんに声をかけた時は、まだAV業界にあまり関わってない頃だったんじゃないでしょうか。冗談か本気から知りませんが、当時の魁さんにAV女優さんを縛って欲しいんですが?と言ったら、その人はMですか?と言われ、言葉につまったのが印象的でしたねw。そもそも女優さんは女優でありMも糞もないですからねw。魁さんはAV業界にいないタイプで良い印象を持ちましたね。
ー 所謂、素人SMマニアみたいな感じの頃?
M そんな感じです。それで川上ゆうさんと魁さんが、僕の特典映像の撮影で出会ったんですよ。魁さんが川上ゆうを「カワイイ、カワイイ!」って(笑)。川上ゆうもシネマジックに出てこういうのがやりたいってのがあって。それで魁監督、川上ゆう主演の「奴隷市場」シリーズというのが始まったんです。
ー まるかつくんのが縛りを自分で始めようとした切っ掛けみたいなものがありますか。
M シビアな言い方ですけど一番は売上ですね。縄師さんが縛っても僕が縛っても売上に変化ないことに気がついたので自分で縛り始めました。縄師代の経費も浮きますし。あと自分がプレイヤーとなり様々な事を経験したいと言う欲求があったからもありますね。あと、そもそもですが、セル市場においては、お客様の欲求は縄師の緊縛よりも浣腸プレイ等の『縛って何をやるか?』が重要だったんですよね。だから僕のビデオにおいては緊縛よりプレイ重視の作風にシフトしていきましたね。濡木痴夢男さんも緊縛はビデオより写真だと言ってた通り、緊縛を表現するなら写真の方が都合が良いですもんね。
ー シネマジックはSMの総合商社みたいな感じで、縛りも浣腸もノーズプレイも全てぶち込んでドラマでしっかり見せる、というのが王道なわけでしょう。
だから縛りに重点を置くというのは異端な感じでしょう。
M そうですね。
ー だから縛りのファンはいるけど全体的には少ないんだよね。それと、濡木さんの場合、緊縛師として目立ち過ぎるというのもあったんじゃない。
Liveと違ってVTRの場合は、緊縛師は黒子にならなければいけないからね。だから俺やまるかつくんのようにビデオは監督が緊縛師を兼用しているのが一番しっくりする感じがするね。
M そうですね。あと縄師さん呼ぶと、どうしても飾り縄が多くなって時間がかかっちゃったりしますよね。
ー まあ、緊縛師としては呼ばれた以上、自分の腕を見せたいと思うのは当然だけどね。
M まあ一概には何とも言えないですけど、当時の濡木さんのベスト版と明智(伝鬼)さんのベスト版があったら、やっぱり明智さんは縛りだけじゃなくて責めも激しいんで、ダントツ売れましたね。
明智さんは今でも売れるんですよ。
ー 俺の場合は年代的に70年代初頭のSMセレクトのカラーグラビアの影響が圧倒的だったね。俺は当時高校生だったけど、あの緊縛カラー写真は衝撃的だったね。
あの縛りは美濃村晃(須磨利之)が手掛けてたんだよ。
M 美野村晃さんのドキュメントビデオはウチでも出しましたよ。(*「縄炎~美濃村晃の世界」(89・雪村春樹))
ー 美濃村さんの縛りって、所謂、飾り縄っていうのをほとんどやらないすごくシンプルなんだけど、ポイントを押さえた縛りですごくエロティックなんだよ。
あのグラビア写真は何十回、いや何百回もお世話になったよ(笑)。
今見てもエロいと思うよ。あの写真は花沢正治という昔、新東宝でスチール撮影を担当していた人なんだよ。新東宝の研究というのは、SMと並んで俺の重要な研究テーマでもあるんだよ。
まあ、余計な話だけど(笑)。それで唐突だけど、まるかつ監督は何を目指しているのかな。
M エンターテイメントのあるSM表現ですかね~。実際にSMプレイの経験がなくても凌辱的なSMの雰囲気、SMエンタメの世界が好きな方に発信できれば良いですね。
思いあがった事を言えば(笑)僕のSM感を具現化する感じですかね。あ、僕のSM感は「嫌よ嫌よも好きのうち」なので、その流れで作品化しているのですが、(僕は理屈っぽい性格なので)、
では、なぜ?嫌なのに好きなのか?と言う問いに、明確な根拠が浮かんでこなくて、五年ぐらいずっと考えていたんですよね。で、そんなときに、ネットで納屋さんって漫画家を知り、その流れで杉村春也さんという小説家を知り、そこで、僕の問いが晴れたんですよね。杉村さんの本だと『マゾはサディストを悦ばせたくてワザと嫌がるフリをするけど本心では(マゾだから)悦んでいる』みたいな理屈なんですけど、悩みに悩んでた僕には、これほどに明瞭な答えはなかったんですよね。ヒロインをマゾ認定して前述の理屈を当て込めば全て解決なんですよね。なんか、分かる人には分かるような話かも知れませんが、以降、僕は嫌なのに好きの答えを見つけ、杉村さんの理論にのっとり、台本もスムーズに書けるようになりましたね。パクリかも知れませんが(笑)。
杉村さんの哲学、言いがかりの付け方には敬服しますね。あと、SMの映像作品と言えば、団鬼六さんて感じですが、僕は漫画やアニメに影響を受けてるので、もっと、ファンタジックなSM世界を目指してる感じですかね~。なので義父に調教される母娘みたいな王道のSMは、逆に僕はやらなくていいかなあ~と(笑)。
ー でも今の時代になると、俺や川村(慎一)くんがやっているような団鬼六的なものは、もはや王道というわけでもなくなっているんじゃないかな。
今、まるかつくんが言ったようなものが、むしろ王道になっているんじゃないかな。
M それは分かりませんが、もはやSM=団鬼六だけでなくいろいろありますからね。僕は当時のシネマジックの作風の中においては異端な感じだったのですが、僕の中ではDID(※)がすごく流行っているイメージで、城とお姫様みたいなファンタジーSMを作ったら意外にも受け入れてくれましたし、嗜好も時代とともに変化してる感じですよね。
ー かつての少数派が多数派になると思想も右寄りになるという論理かもしれないね。でもSMっていうのは基本的の妄想の世界だからね。
M 僕はシネマジックに入ってからSMに興味を持ったクチなんですよ。もう亡くなっちゃったんですが、イラストレーターの佐伯俊男さんが自分のSM感にフィットした感じですね。
ですが、当時の僕は、何せSMとの本格的な出会いはシネマジックであったので、僕みたいなコミカルなテイストはSMでないのかな~と、仮に自分が監督になっても受け入れてくるのか?自信がなかったんですが、昔のSM雑誌に佐伯さんのイラストが掲載されていた事を知り、あ、自分はシネマジック的じゃないけど、アリなんだな、みたいな感じになって、やっぱりいつかは監督になりたいな~と当時の営業部でふつふつと思ってましたね。
ー 佐伯俊男さんの絵はヨーロッパあたりでも人気があるよね。独特な画風で、単にSMとかファンタジーという言葉で表現仕切れない奥深さがあるよね。
M そうですね。後追いですが奇譚クラブの絵師さんとかもファンタジックで味わい深いですよね。あと逆に小妻蓉子さんという画家は、すごく写真的な絵を描きますよね。
要は写真で出来る事をわざわざ絵でやっているんですけど、それは何なのかと。写真で済むものを絵で微細に描くというのは、一種のファンタジーだと思っていて、そういう世界も好きですね。
ー それは何となく分るね。何で手間かけてそんなことするんだって人は言うけど、それは縛りにも言えることで、俺はそういう時の答えは「だって好きだから」って言うしかないんだよね。
理屈ではないんだ。
M まあ、そうですね。
ー まるかつくんは、シネマジック生え抜きの監督だから色々考えていると思うんだけど。
M シネマジックも僕が出来る範囲で改革していかなきゃいけないと思ってるんですけどね。
ー 自分で積極的に出るようになったのもその一環なのかな。
M 最初は途中から”シャドー”ってキャラクターを作って黒子みたいなことをしてたんですね。それで自分で縛りから責めをやって、SMスキルを学びました。
SMスキルを得ることで、やっと監督の仕事も出来るようになったと思うんです。もし、それがなかったらみなさんみたいに監督は出来なかったと思います。
ー シネマジックの場合はちゃんとドラマがドラマになっているのが、この究極に節約されたご時勢の中ではすごいことだと思うよ。正直、他社でSMドラマと称するものは、ドラマじゃなくて単なる設定でしかないものが大半だからね。
M そのドラマという部分はプレイに比べるとムダと言えばムダなんですが、どうもそのムダな部分が実は大事で、それがないとその後のSMプレイが生きてこないというのは、シネマジックにいたから学べたことです。シネマジックも創立してから40年近くたっていて(*1983年創立)、僕なんかはその歴史の中ではまだまだ微力なんですが、今後も色々と考えながらやって行きたいと思っています。
ー それでは今後のまるかつ監督に期待ということで、本日はありがとうございました。
後日談として、DID(※)がすごく気になった編集が改めて聞いてみました。
世間的に緊縛、拘束などを含む行為をする事がSMプレイという概念から、まるかつ監督は、ファンタジーの世界観もアリだと言われていました。
時代が流れるともに「ソフトSM」という言葉が生まれ、そこから進化(?)した空想SMや幻想SMと言った脳内でも完結できるプレイの時代が来ているのかと感じました。
「DID」は「嗜好の概念」であり。Damsels in Distress 直訳すれば危難の乙女とでもなりましょうか。ピンチに陥ったヒロインを見て楽しむという嗜好形態だと解釈する方もいます。
その思考(嗜好)は、日常生活の中の非日常、アクシデントに巻き込まれた子が、監禁・拘束されそれを俯瞰で観ている状況を楽しむものだそうで、拘束する道具も麻縄や拘束具ではなくガムテープや結束バンドなど誰しもが身近にある道具で身動きを封じるという事でした。
まるかつ監督は、その状況を映像化するのに作品として構成する上で、収録時間や演者さんらを演出する上での矛盾もあり、奥が深いと語っていました。
観る人のその脳内で構成される創造と想像と歓喜がまた新たな嗜好を生み出すのかも知れない。そんなSMに対する新しい境地が開かれる予感もしました。
end
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